㋺ 天授通宝は遼銭か?
左が普通の「天授通宝 折五」。 少し小さめの 折五。
右は普通じゃない「天授通宝 銀銭 折五 背日月”契丹”」
これは天授通宝が遼銭である決定的証拠なのか、
あるいは西夏銭だけど遼が借用して契丹文字で kita-i と入れちゃったのか?
まあ一時は西夏も遼に服属していたという事ですし。
もう少し突っ込んでみましょう。
天授通宝には小平銭が存在し、そちらは西夏銭かも知れず判りません。
このページに掲げた折五サイズの物は遼銭と予想しています。
上図右の背”契丹”は西遼の鋳造と考えています。( →千秋万歳4に記載。)
では、上図の左の光背 銅銭については、遼のいつの時代でしょう?
「天授」とは何か?
大先生によると後遼国の最後の元号”天徳”の後に、”天授”があったとの説明でした。
当方はよく判りません。
違う視点で調べた所、
遼の第3代皇帝である耶律兀欲の諡号が「天授皇帝」ではないですか。
その説が当たっていれば鋳造は天禄の頃という事になります。
・2014.12.29追記
興遼重宝の「遼」の文字が、天授通宝の「通」に似ており、
「宝」の文字も似ている事に気づきました。同じ書家の文字ではないでしょうか?
興遼重宝の時代は1030年頃です。
しかも数年後に西夏が建国。西夏の天授礼法延祚の時代は1038〜1048年。
西夏と遼が共同で北宋を攻めていた時代に符合しましたよ!
真贋は永遠の謎。 怪しいジャンルです。創作古銭かも? 入手する貴方は散財家。(爆)
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