維新通宝、啓定通宝、保大通宝  阮朝(The Nguyễn Emperors)1802-1945

治平通宝  黎文
(Lê Văn Khôi)1831-1834

元隆通宝  農文雲(Nông Văn Vân)1832-1833




維新通宝Duy Tân Thông Bảo)1907-1916

阮維新(Nguyễn Duy Tân)1907-1916 の時代。維新帝ですな。植民地時代。

1912年にはお隣の清朝が滅亡します。中華民国が出来ます。

1914年には第一次世界大戦が勃発するという、そんな時代です。


左は「宝」の貝が閉じているタイプ。「文」の点が丸。

真中も左と同じですな。痛みの少ない物です。

右は「宝」の貝が開いているタイプ。「文」の点がDの形。


Barker #108.1       Barker #108.1       Barker #108.1 








啓定通宝Khải Định Thông Bảo)1916-1925    2016.05.11 少々加筆。

阮弘宗(Nguyễn Hoằng Tông)1916-1925の時代。啓定帝ですな。植民地時代。


下図は3枚とも鋳造タイプと言われています。

Barker先生も下図の物については圧延製造(Struck coinage)とは分けている様です。


ところが「Standard Catalog of WORLD COINS 1901-2000」(2014年版) を見ますと、

MILLED COINAGEに分類されており、機械加工によって造られたという分類です。

この辺は安南銀銭や、中国銭の打製 光緒元宝と同じですな。

維新通宝や保大通宝の鋳造コインと比較しても下図の啓定通宝は異質に見えます。

打製と言い切って良いのか? ん〜機械を使って鋳造した奴かも?

とにかく普通の鋳物とは違って機械製という事です。


製造場所は王宮のあったフエで造られた様です。流通地域は阮朝(アンナン)です。

啓定帝が願い入れたのか、もしくはフランスからの指示によって製造機械を導入したんでしょう。


材質ですが真鍮質という記載を見るので、下図の赤銅色の物は後鋳の写し品という事ですな。



左は真鍮質。「通」が普通サイズ。コ頭通のタイプ。

真中は赤銅色。「通」が普通サイズ。コ頭通のタイプ。 赤銅色は正規の貨幣では無いとの事。

右は錆びてて見た目に判りませんが真鍮質でしょう。「通」が小さい。マ頭通のタイプ。


Barker #109.1      後鋳の写し品、絵銭     Barker #109.2 

(2016.05.11 右を追加。)





下図の6枚は昔から打製と言われた物ですな。同じように機械製ですが、こちらは圧延製造です。

仏領インドシナ政府がハイフォンとハノイに製造所を設けて製造した物の様です。

真鍮質の物はトンキンで流通。青銅質の物はコーチシナへ持ち込み流通させたとの事。

という事は? 阮朝(アンナン)管轄ではありませんな。

阮朝(アンナン)で流通させる用途とは違う物なんじゃないの?


左は普通品の長足宝。

真中も同じ普通品の長足宝。10円硬貨と似た色が判りやすいですな。青銅質です。

右は小字。これは黄色の真鍮質です。これがトンキン専用か?


Barker #109.5      Barker #109.5      Barker #109.3 

(2016.05.11 真中を追加。)



左は「啓」が短文ですな。

真中も「啓」が短文です。

右は何だろな? 小字かな?


Barker #109該当無し   Barker #109該当無し    Barker #109.3 

(2016.05.11 3枚を追加。)



古代ローマ銀貨は打刻。永楽銀銭は打製。プレス機による銭は?打製?

中国の参考書では近代工業のプレス機によるコインは機制という用語ですな。

微妙なので突っ込まない様にします。(爆)








保大通宝Bảo Đại Thông Bảo)1926-1945

阮保大(Nguyễn Bảo Đại) 1926-1945の時代。保大帝ですな。植民地時代。

1937年にはお隣の中華民国で日中戦争が勃発。1941年末には大東亜戦争が開戦。


左は縮通背十文。

右が大字広大。


Barker #110.4      Barker #110.3 



左は闊字。

右は圧延製造。阮朝ではなく仏領インドシナ政府が発行したトンキン用。1/600 Piastre。青銅。


Barker #110.5      Barker #110.10 




下図は色合いの話です。


左上は銀メッキの痕跡の様な感じ。 銀メッキ品もあるらしいですな。

右上は硫化銅みたいな色で鉛筆の芯に似た反射具合。


遼の保大通宝は遼銭で確定ですから、別版とか手類銭には分類しないで下さい。



1945年3月、保大帝は日本軍の力を借りてフランスからの独立を果たしベトナム帝国を樹立。

そして同年8月14日はご存知の通り終戦の日。日本が降伏しポツダム宣言を受諾。

それを知ったホーチミンら活動家によって革命が起き、保大帝は退位します。


その後ですが保大帝はけっこう長生きした様です。

そしてWikipediaのバオ・ダイのページには保大通宝も写真付きで掲載されていました。

保大通宝は通貨としては世界史上最後の方孔円銭とか?




(2015.05.11 下記6行を追記。)

打製の啓定通宝および打製の保大通宝は仏領インドシナ政府が発行したコインであり、

阮朝(アンナン)じゃなくて、北部トンキンと、南部コーチシナの民衆用に造られた物。

貨幣価値も阮朝の鋳造貨幣とは重さ(大きさ)がだいぶ違いますよね?

つまり阮朝の古銭「分」や「文」じゃなくて、「Sapèque」「Piastre」じゃないの?

そう考えると納得できるんですが?

如何でしょうか?








● 以下は阮朝時代の反乱軍もしくは地方政権の銭です。



治元通宝Trị Nguyên Thông Bảo1831-1834

黎文
(Lê Văn Khôi)による反乱1831-1834。 明命帝の時代です。

これは祥宋手ですな。亜鉛の含有が高い銅合金という話ですが、下図の物は亜鉛銭に見えます。


Barker #111.1 




治平通宝Trị Bình Thông Bảo1831-1834

黎文
(Lê Văn Khôi)による反乱1831-1834。

これは祥元手ですな。こちらは亜鉛の含有が高い銅合金と言える材質です。


Barker #112.1 


2017.02.13 以下6行を追記。  黎文
は反乱軍の主導者ですな。
黎文
の祖先はカオバン省の出身で莫朝、莫氏と関係がある様です。

莫氏の末裔の人達が反乱したのかも知れませんな。阮朝に服す事が不満だったのかも?

そして、小型の古銭である、永定手〜安法手〜祥聖手〜祥元手の多くは莫氏の時代かも知れず、

ここに掲げた祥元手の治平通宝も、Barker先生によると黎文
の時代という事です。

歴史のつながりが見えてきた感じがします。






元隆通宝Nguyên Long Thông Bảo1832-1833

農文雲(Nông Văn Vân)による反乱1832-1833。


Barker #113.2 





真贋は永遠の謎。 保大帝が退位し安南の歴代古銭も閉幕。バイバイキ〜ン!(爆)

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