㋺ 一品大夫? 六務大康? 福徳無尽?
引き続き巨大銭です。全部が鍍金銭です。全部が契丹小字銭です。
「一品大府」「一品大夫」と読んでみました。 背の丁みたいな字は「二十」。
契丹文字の読みと解釈は全て他所からの引用です。
下図の古銭。けっこう判らんで御座います。
ますは右の字です。
「六務徳大」と読みそうですが、
もしかすると 上=六、下=務、左=大、右=徳 と読んで、大徳は元号「大康」になり、
「六務大康」とか何とか?無理過ぎる。 まあこれは「不明銭」で。(爆)
2016.02.07 音韻に無理の無い別の説を思いつきました。
大宛とはフェルガナ地方の草原。
しかし、大康の時代は丑年がありませんぞ。(爆)
大康が終わった翌年の大安元年が丑年ですな。
下図です。読みたい様に読む。
「福徳無尽」と読んでみました。
「無徳金福」の方が合ってそうですが、悪徳金満みたいでちょっと。(爆)
背の丁みたいな字は「二十」。サみたいな字は「ó」と読みますが意味は不明で御座います。
20お?…(爆)
前ページと合わせて、すべて縁起の良い文言が並びましたな。見た目も金金キラキラ。
何か貴族、王族の祝儀銭、記念銭の様な物と想像します。
真贋は永遠の謎。
追記
「六務大康」銭の背に「丑」。 丑年は大安元年。
そして「無徳金福」銭の背が「二十」。そこから想像が沸々と出てきましたよ?
耶律洪基の子、耶律濬が皇太子になったのが咸雍元年(1065年)で、
大康元年には北南枢密院事を兼領したとありますな。
咸雍元年(1065年)から20年後が大安元年(1085年)。という事は...
大康年間に北南枢密院事として6つの大きな仕事をこなしたという意味の「六務大康」か?
そして皇太子になってから「二十」年後の丑年の大安元年だ!
耶律濬ちゃんの永年勤続表彰、金一封10万円でしょうか?