神暦元年、五年

下図は大遼が滅んだ後の後継政権、北遼の記年銭です。


下図は「神暦元年」銭。

「暦」の下から「元」にかけてスジが見えます。段差です。母銭にヒビが入ったか?

「年」のすぐ右、郭に凹みがあります。これらは同一版の銭すべてに共通の特徴です。


背の縁に溝の箇所がありますな。

北辽《神历元年光背》纪年大铜钱珍赏




問題は下図の古銭です。けっこう問題有りで⑧謎の契丹古銭に回そうかとも思いました。

まあ上記掲載の神暦元年から続きなので、この場所でやってみます。

見てお分かりの通り「神暦五年」銭で、右は銀銭。

直径、厚み、材質など前のページまでの銭と似ています。文字の雰囲気は少し違いますな。



問題有りと前振りしましたから、詳しい方はもう気付いていると思いますが、大問題ですな。

歴史の史料を見ると北遼は1年とちょっとしかありません。その間に建福→徳興→神暦と3回も改元しています。調べた結果だけで判断すると、神暦という年号も元年しか有り得ない訳です。


じゃあ「神暦五年」銭とはこれ如何に?普通に結論を出せば偽物という判断でしょう。

まったく、ちゃんと歴史を調べて偽物を作りなさいよ。神暦5年なんて存在しないの!

とか何とか。

ヘヘヘ。ところが当方は偽物とは考えません。


北遼が滅んだのが1123年の神暦元年ですが、西方へ移動していた耶律大石らは天山ウィグル王国などと交戦しており、1132年に即位して元号を「延慶」とします。(西遼が建国された訳です。)

しかし、大遼→北遼→西遼という継続した国を考えれば、1123年から1132年の間を空白の期間とする事の方が不自然とは思いませんか? 西遼とか北遼という呼び方も現代の歴史学者が判別の為に呼んでいるに過ぎないと思いますよ。

つまり、1123年から1132年の間は元号「神暦」を継続していた期間であると考えます。

「神暦五年」はあったんです。



「恐怖の 神暦写真!」     …(爆)

心臓が弱い方は読み進める事ををお控え下さい。

カメラは時として、存在する筈の無い物を映し出す事があると言う。

この写真は、ある人物が所持していた物を譲り受け、投稿者の手によって写された一枚である。

投稿者の話によると、最初に所持していた人は既に亡くなってこの世にいない。

霊能者の鑑定では、戦乱の中で死んで行った武将の怨念が、

見る者を珍品古銭の世界へ引きずり込もうといまだに強い霊波を発し続けている。

画面のほぼ中央から左を見て頂きたい。

お判り頂けたであろうか。

数体の霊が重なり合って「五」という文字の形に見えないだろうか?(怖)





真贋は永遠の謎。「神暦五年」は遼銭のミッシングリンクだった!

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