延慶元宝、通宝    (西遼)


西遼の銭です。西遼は80年近く続きました。

西遼のあった場所は新疆ウイグル自治区からキルギスとかカザフスタンの東です。

つまり中央アジアの古銭です。中央アジアの都市開発とか状況が判りませんが、

まだまだ埋蔵銭が出てくる可能性はありますな。


また、この時代を考える時に、各国の位置関係を頭に入れてみるのも面白いと思いますよ。


 モンゴル 金朝    金朝の領土は縦長です。

西遼 西夏 金朝    西夏よりも更に西側に西遼があった訳です。

 吐蕃諸部 南宋    そしてこんな感じで南宋は小さいです。

天竺 大理 大越    この時代の後にはモンゴル一色に塗り潰されてしまいます。


(ちょっと追記します。2013.09.09    少々加筆。2014.07.22)

西遼銭の出土地域ですが、参考書「遼金銭幣」を見ますと中国東北地区、遼寧省、内蒙古、

吉林地区などと書いてありまして、ウィグル地区からは出てないんでしょうか?

中央アジア地域をメインに出土しないなんて変ですな。(爆)


うまい解釈をするならば、

西遼の中国風の銭は宮廷のみで使用され、民間では使用されていなかった様です。

そこをモンゴル軍が襲った訳です。宮廷の金品を全部まとめて略奪したので残っていない。

そしてモンゴル軍はこれを鋳潰して馬具や武器に流用したのでしょう。たぶん。

なぜなら、モンゴル帝国では紙幣を用いており重たい銅銭は不要なのです。

現代に出土する西遼銭はモンゴル人が持ち帰った後に側溝に落としちゃった物。(爆)

あるいはモンゴルに連れ去られた契丹人が密かに所持していた物?

まあ今後の研究成果を期待しましょう。(爆)


ご紹介した多くの専門書にも掲載されていますし、

遼金銭幣博物館館長のブログに掲載されているんだから本物と思うんですが?(爆)




さて、西遼の古銭に行きましょう。

下図の上段は延慶元宝の小平。左上と中上が普通版。右上が銀銭です。

下段は延慶通宝で、左下が折二銭。右下は折三銭。


銀銭は錆が落ちちゃってます。ママレモンはクエン酸が入っているので洗浄用としては注意?



下図の物はすぺしゃる版の折十銭。

背の契丹文字は何度も登場する 
kita 
i =契丹です。 よって「万万契丹」。





やはり本物なのか?出土銭の写真があります→ 延庆《西辽耶律大石第一个年号》铸币概况





真贋は永遠の謎。ちょっと趣向を凝らして、まんキタいぃマン。

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契丹文字の読みと解釈は全て他所からの引用です。